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筆猫日記

学生時代 筋トレ

甲子園に出た時の話。プロに行った投手と対戦。高校球児は坊主。

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学生時代ほとんどを海外で過ごしていましたが、親の都合で高校一年生のときだけ日本に戻ってきて、私は日本の高校に通っていました。

部活への入部は競技が目的というよりも、早く学校溶け込みたいなと思っての行動でした。野球部はあったものの、その高校は進学校だったので、弱小野球部で素人だった私も1年生の時から試合に出れそうだなというすけべ根性もありました。しかしながらまさか甲子園に出場できるとはその時は夢にも思っていませんでしたが・・・

 

野球部は坊主

これには驚きました。

最初は皆さん変な宗教にでも入っているのかなと思っていたのですが、実は野球部の決まりで坊主になっているとは海外生活の長い私には想像もできなかったのです。初めての練習の際自慢のロン毛をかき上げていると、先輩に「お前いつ髪切るんだ?」と言われ、「次の散髪の予定は未定です。」と答えたときにボコボコにされてそこで初めて日本の野球部のしきたりを知りました。

納得できない部分もありましたが、郷に入っては郷に従えという教えもありますので次の日には坊主頭でバットを振っていました。心なしかスイングが力強くなった気がしたのを覚えています。そして女性にもかわいいと頭を撫でられる機会もあり、よもやの好影響もありました。

その後、甲子園で敗れてしまい、やっと解放されたと髪の毛を伸ばし始めたときに少しだけ寂しさも感じました。あんなに嫌な坊主頭だったのに人間とは不思議なものです。

 

エースで4番

元々運動には自信があったのですが、野球という競技が研究熱心な自分にもあっていたのでしょう、プロ野球選手のその当時は巨人の桑田真澄が理想的なフォームと言われていたのでビデオで分析し、その投球フォームをトレースして投球に励んでいました。

当然自分の投球や素振りももビデオ撮影して、肘や手首のポイントなどの稼働位置を随時修正するという超高校級の練習方法で最終的には1年生でエースで4番の座につくことができました。私の球種ですが、変化球はカーブとスプリット、ストレートはまだ日本では珍しい2シームを投げていました。予選ではほとんど打たれることなく甲子園に進み、今もプロ野球選手として活躍する大投手と対戦することになったのです。

 

甲子園で敗退

現プロ野球選手の右腕と甲子園で対戦し、ぼろ負けです。

その投手は当時からとても有名で当時高校3年生でしたが既にプロでも上位クラスの球を投げていました。

実はもしかしたら甲子園でも軽く優勝できてしまうのではと考えていたのですが甘かったですね。本当に才能があるとはあのようなことを言うのでしょう。全く歯が立ちませんでした。結果は3-2。こちらの得点は私のホームラン2本のみ、あとは塁に出ることもできず完敗です。

先輩がエラーして失点しまったときにこの団体競技は人生の縮図だぞと感じました。

端的に考えると私の責任ではありません、しかしその学校やチームを選んだのは自分であり、なおかつミスは絶対に起こり得るので、突き詰めるとそれは自分のせいでもあり、甘んじて受け入れなければいけないのです。

合理的な私は、9回の表の守りのイニングが終わったときに甲子園の土を既に持ち帰り用のタッパに入れており、顧問の先生が口を開けてあきれていたのを覚えています。それもこれも今はいい思い出です。

 

親の都合

少し話が脱線します。

日本に戻ってきた親の都合というのは、祖母の家で経営していたつけもの石の製造工場が、株の買い占め騒動に巻き込まれ、当時経営学を専攻していた私が親に呼び戻され、つけもの石工場の再建と仕手筋への対策のために日本で1年従事しました。

朝は勉強、昼は学校、夕方は野球、夜につけもの石工場の経営ととても忙しい生活でしたが、充実した青春時代でした。負けたとはいえ1年生だったこともあり、その後熱心に誘ってくれるプロ野球のスカウト方もいらしたのですが、それはまた別の機会にお話ししたいと思います。

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